TwitterでXenophiasさんと「ダウンロード刑罰化」について話をしていて、
”反対派というのは「目的は適当だが手段が不適切」あるいは「目的も手段も不適切」”
の2パターンあり、私がその2つを混同しているという指摘を受けた。

そこで、改めてそもそもの「背景」「目的」「手段」を整理した上で、「ダウンロード刑罰化」の
論点の変遷を考えていたら、何で自分が混同していたのか理解できたので、下記にまとめてみる。

結論を述べると、当初の「目的」自体が不適切だったが、既成事実化されてしまったために、
論点が「手段」、「手段」から「刑罰化」そのものへと変わってしまった、ということかな。
だから、当初の目的自体が不適切という話と、現実問題としての論点である「手段」の話を
ごっちゃにしてしまっていた。


そもそもの「背景」「目的」「手段」のザックリまとめ

背景:ダウンロードによる著作権侵害により、権利者は甚大な不利益を被っている
目的:直権侵害のダウンロードを防ぐことにより、権利者の不利益にならないようにする
手段:著作権侵害のダウンロードを違法化・刑罰化にすることにより、ダウンロードを防ぐ


不適切な目的の既成事実化

で、私に関しては、そもそも「目的」の前提となる「背景」が間違っているので、
後者の「目的も手段も不適切」という考えである。ただ、2009年の違法化のタイミングで、
その不適切な「目的」が既成事実化してしまったために、
反対派にとっては、既に「目的」を争う段階では無くなってしまったので、「目的」が不適切と
考えつつも、実質的に「手段」で争わざるを得なくなった、というのが現状という認識かな。


不適切な手段検討の既成事実化

そこで、より有効な「手段」があるのではないか、という指摘があるのだが、
それは不特定多数のダウンローダーを取り締まるより、不特定少数のアップローダーを取り締まる
方が効率的、というもの。ただ、これも「ダウンロード刑罰化」で話が進んでいるために、
実質的に論点が「刑罰化」そのものになってしまっている気がしている。
(アップローダーの取り締まりなら、現行法で対応可能)


現状での「ダウンロード刑罰化」の論点

そして、「刑罰化」自体のツッコミどころとして、主なものは、
「著作権法第30条の私的使用の範囲なので慎重に検討するべき」
「ユーザー側が違法なコンテンツか判断できない」
「取り締まる側が外からは違法なコンテンツか判断できない」
「全員を取り締まるのは現実的には不可能(見せしめで取り締まるだけなのは健全と言えるのか)」
あたりかな。抜けがあるかもしれないけど。

という訳で、反対派からすると、そもそもの「目的」や「手段」がまともに検討されずに、
どんどん既成事実化されていって、話が進んでしまっていて、
論点が変わってきているというのが今の状況と言えると思う。


今後予測される展開

そして、今の「ダウンロード刑罰化」の先にあるのが、悪名高い「スリーストライク法」で、
ここまで来ると、ドイツや韓国での悪例のように、一般ユーザーを巻き込んだ混乱が生まれる
可能性が高く、しかも、権利者の利益には何の効果もないという状態が容易に予測される訳で。