ラ・ロシュフコーの言葉を「選別」して「見出し」を付けて「順番を考える」だけで、
なんかそれっぽくなる(not キュレーション)。内容的には割と自分の耳が痛い。

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)
ラ・ロシュフコー
岩波書店
1989-12-18


●情報発信について
適当に語るには多くの技巧を要するにしても、黙っているのにも、それ以上の技巧が必要である。

沈黙は、自己に信用のもてない人には最も確実な才策である。

人は、虚栄が話せと、そそのかさない限り、口をきかない。

心の裡を打ち明けるのは虚栄のため、しゃべりたいため、
他人の信頼を惹きつけたいため、親密の交換をしたいためである。

同情されたいとか、感心されたい気持ちが、
とかく、われわれの打ち明け話の大部分を形作る。

虚栄は理性以上に、われわれにわれわれの嗜好に反することをさせるのである。

自分の内に安らぎを見出せない者が、それを外に求めても無駄である。

自己の腕前を人に示さないことこそが真の腕前である。

まことの紳士とは、何事も、自慢しない人のことである。

大多数の若者たちは、ぶしつけと無作法さを天真らんまんのつもりでいる。

人間はときに、他人と別人であると同じほどに自分とも別人である。

わずかな言葉で多くを理解させるのが、大人の特質であるなら、
小人はこれとは逆に、実に多くの言葉をしゃべりたてながら、
相手に何一つ伝えないという天与の才能を持っている。


●行動することについて
自分自身を信頼すれば、他の事に対しても信頼が生まれてくる。

怠惰は、全く見栄えはしないが、しばしば、もろもろの情念の覇者となる。
それは、生涯のいかなる大望をも行為をも侵害する。
そして、いつとはなく、情念や美徳を破壊し、滅ぼし尽くしてしまう。

好調な時は充分に楽しみ、不調な時は気長にかまえる。
よくよくの場合でない限り、決して荒治療はしないことである。

我々は実際に秘めている力よりも、意志の強さの方が欠けている。
だから始める前から不可能だと決め付けるのも、結局は自分に対する言い訳に過ぎない。

人は何かによって動かされている時でも、自分の意思で動いているものだと錯覚する事が多い。
そして頭ではある目的を志向していても、知らず知らずの内に心に引き摺られて、別の目的へと導かれてしまう。


●批判することについて
語り合ってみて理性も好感も感じられない人間が多いのは、
自分の言いたいことで頭がいっぱいで、相手の言動に耳を貸さない連中が多いからだ。

われわれは、われわれと同意見の人でなければ分別ある人とはまず言わない。

我々が過ちを犯した人々を叱責する時の動機は、
どちらかと言うと善意よりも傲慢に因る事の方が多い。
つまり相手の過ちを正すからと言うより、自分だったらそんな過ちは
決して仕出かさないという事を誇示し、優越感に浸る為にする。

もし自分に傲慢というものがなければ、
他人の傲慢を不快に思ったり、咎めたりする事もなかろうに。

忠告ほど、気前よく人に与えるものはない。

相手方の言い訳を聞いてやろう、という気持ちが無くなったら、もうその人の負けである。

われわれは、ある人の栄光にけちをつけるために、別人の栄光を称えたりする。

人が不正を非難するのは、そのことを増悪するからではなく、
むしろ、自分がその害をこうむりたくないからである。

正義の愛は、大部分の人々においては、不正な目に合うことを怖れる心である。

英知はいつも心情にだまされる。

人は理性でしか望まないものは、決して熱烈には望まない。

たいていの人は、人間を評価するとき、その人の人気か運しか見ない。

人は、ふつう、悪意より、虚栄のために、悪口を言う。

一方の疑念は他方の欺瞞を正当化する。

人は誰でも自分の物覚えについてはぼやくが、
誰ひとりとして自分の判断について嘆くものはいない。

あまり利口でない人たちは、一般に自分のおよび得ない事柄についてはなんでもけなす。


●批判されることについて
人間の幸不幸は運によるところも大きいが、その人の気質によるところも、これに劣らず大きい。

幸福な人々の節制は、幸運が彼らの気質に与えたおだやかさからくる。

どれだけ用心深く、敬虔や貞淑の衣で覆い隠したとしても、
情念というものは必ずその衣から透けて見えてしまう。

こちらの方から良いことをしてあげよう、という立場にいるかぎり、
恩知らずには出会わないものだ。

人に好かれるという自信が、しばしば、その人を好かれなくする

賢者はどんな不幸な出来事からも、何かしらの利益を得る。
その一方で、愚か者はどんな幸福な出来事にも、心を傷つけられてしまう。

大いなる欠点を持つことは、偉人たちのみに限られる。

われわれが小さな欠点を認めるのは、大きな欠点を持っていないと、人に信じさせるためである。

贋の紳士とは、自己の欠点を他人にも自分にもごまかす連中であり、
真の紳士とは、それらを完全に認識し、それらを告白する人間である。

人間は、敵に欺かれたり、友に裏切られたりすれば大騒ぎするくせに、
たびたび自分で自分を欺いたり、裏切ったりしていて平気である。


●炎上について
われわれはみんな、他人の不幸を平気で見ていられるほど強い。

隣人の破産は敵をも味方をも歓ばす。

敵がほしければ味方より偉くなればよい。味方がほしければ味方を引き立ててやればよい。

人が大部分の物事を称讃したり、くさしたりするのは、
それらを賛め、それらをそしるのが流行だからである。

賢者は征服するよりも、深入りしないことを得策とする。


心に負った傷は体の傷と似ている。
癒すためにありとあらゆる力を尽くしても、必ず傷は残るのだ。