蠅の王 -Lord of the Flies-

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タグ:考え方

12/16に最高裁で選択的夫婦別姓絡みの判決文が出たこともあり、
選択的夫婦別姓(厳密には夫婦別氏)の議論を理解しようと、色々調べながら、12/17〜20の4日間に渡って連続ツイートしていたら、40ツイート×140文字で合計約5,600文字にもなっていたので、ここは一つ、ブログにまとめて選択的夫婦別姓の議論を整理してみることにした。

選択的夫婦別姓の議論は、下記の通り、4つの論点にまとめることができる。要は、前提の確認・現状把握・過去の歴史・導入検討、の4つ。
長いので、下記の通り4つに分けて、4部構成でブログを書いてみることにする(って論文かよ)。

1.大前提である「個人の尊重」の根拠、日本国憲法の根底

2.統計・調査での社会情勢の変化と国民ニーズの実態把握

3.家族制度を定める日本の民法の源流、1898年の明治民法の目的と制定経緯

4.実際に導入する場合の民法・戸籍法の影響範囲


まずは1つ目。憲法は素人だが、がんばってみた。

1.大前提である「個人の尊重」の根拠、日本国憲法の根底

⚫️単なる個人の考え方の違いではない選択的夫婦別姓の議論
大前提として、選択的夫婦別姓の議論を、所詮は個人の考え方の違いに過ぎず、優先順位の低い大したことない話と軽視する人もいるが、実はそうではない。
日本のあり方そのものの話に繋がる非常に重要で深刻な議論なのである。

では、選択的夫婦別姓の議論の大元となることは何か。
よく出てくる話は、家族制度についてのあるべき姿、だったり、家制度的なものに対する考え方、だったりする。
だが、議論の大元はどちらでもない。それは、
「個人の尊重を基本的に優先する」考え方か、
「他人(個人)よりも自身の正しさ=国家のあるべき姿として優先させる」考え方か、
の違いである。これは単なる個人の考え方の違い、単なる対立軸ではない。

即ち、
日本国憲法の掲げる「個人の尊重」の考え方か、
日本国憲法の根底を否定する「他人(個人)よりも自身の正しさ=国家のあるべき姿として優先させる」考え方か、
という深刻な対立なのである。

つまり、日本国憲法の根底にある「個人の尊重」の考え方を肯定するのか否定するのか。というのが、選択的夫婦別姓の議論における根幹であり、非常に重要で深刻な議論である理由である。


⚫️選択的夫婦別姓の議論の大前提の結論
よって、日本国憲法を肯定し、日本国憲法が定める国のあるべき姿を前提とするならば、選択的夫婦別姓の議論の大前提となる「個人の尊重を基本的に優先する」考え方は自明なのである。
ここに議論の余地は無い。
もちろん、「個人の尊重」の方向性=選択的夫婦別姓の絶対導入、ではなく、社会情勢の変化や国民ニーズの実態を踏まえた上で、さらには民法・戸籍法への影響範囲を検証した上で、導入するかどうかを前向きに検討すべし、との当たり前の話ではあるが。


以下は補足。

⚫️日本国憲法の根底である「個人の尊重」という考え方
では、「個人の尊重」の考え方とは、一体何を根拠とするのか。
日本国憲法の根底にあるのは、「個人の尊厳(尊重)」の原理であり、全ての個人が尊重されるための政治体制が、憲法の定める国のあるべき姿であり、憲法の三大原理(国民主権、基本的人権の尊重、平和主義)によって構成されるものと言える。
この「個人の尊重」という考え方は、日本の法律における基本原理であり、民法など数十もの法律においても目的規定として言及する条文がある。

image


日本国憲法では、第13条、第14条1項、第24条で「個人の尊重」について明確に規定されている。

日本国憲法第13条(個人の尊重)
「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

※ 大日本帝国憲法には、本条に相当する人権(臣民の権利)に関する包括的な規定は無い。

日本国憲法第14条1項(平等権)
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」


日本国憲法第24条(家庭での個人の尊厳と男女平等)
1項
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」

2項
「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」

※ 大日本帝国憲法には、本条に相当する家庭での個人の尊厳と男女平等についての規定は無い。


補足であるが、選択的夫婦別姓の議論でよく出てくる家制度や非平等的な伝統的家族制度の考え方は、
憲法第24条において、明治民法における家制度や家父長制は明確に否定されており、家族関係形成の自由・男女平等の理念が、日本国憲法における家族モデルの基本であると規定されている。


⚫️日本国憲法における個人の制約原理「公共の福祉」の考え方
「個人の尊重」に関連して、キーとなるが、個人の制約原理である「公共の福祉」である。
「公共の福祉」は、現行憲法で、公共の福祉に反する場合、国民の基本的人権(言論・結社・身体の自由等)を制限できるので、極めて重要である。

憲法における「公共の福祉」の解釈は、色々な学説があるのだが、よく勘違いされるように、「個人の尊重」よりも優先されるべき概念ではなく、「個人の尊重」との対立概念でもなく、全体の利益が個人の権利・利益より優先されることを意味する訳ではない

「公共の福祉」とは、
「各個人の基本的人権の共存を維持するという観点での公平」であり、「国民の健康・安全に対する弊害を除去を目的とする制約」を意味し、
または「他人の権利を害さないことと、基本的憲法秩序を害さないことを目的とする制約」であり、
「公共の福祉」の考え方の根底には、あくまでも「個人の尊重」があるのである


⚫️日本国憲法の根底である「個人の尊重」の否定が意味すること
個人の尊重よりも、「他人(個人)よりも自身の正しさ=国家のあるべき姿として優先させる」考え方は、上述したとおり、日本国憲法の基本原理である「個人の尊重」の否定と言える。

「他人(個人)よりも自身の考える正しさを優先」という考え方は、「ある考えが絶対的に正しいとして他人に強要する」考え方であり、他人に対しても自身の正しさを強要するためには国家権力を使うことが当たり前とする考え方と言える。
つまり、この考え方は、自身の正しさ=国家のあるべき姿、として同一視しているのである。
自身の考える正しさのためには、個人の尊重や平等権を国家権力によって制約してもよいとする考えなのである。

ここでいう自身の正しさとは、それが明確な概念であるのか、あやふやなものか、単なる不安感なのか、などは関係がない。

この考え方の表れの典型が、夫婦別姓反対や事実婚・婚外子差別などであり、他にも家族観・結婚観・歴史観・国家観・憲法観など、あらゆる分野に適用される。

自民党の中でも強硬な夫婦別姓反対派は、日本国憲法の掲げる個人の尊重の考え方ではなく、「他人(個人)よりも自身の正しさ=国家のあるべき姿として優先させる」考え方であると思われる。
そりゃあ(9条以外の)憲法を根本的に改正したがる訳である。なぜなら、個人の尊重という日本国憲法の根底、ひいては現代日本のあるべき姿を否定したいのだから。当然の話であろう。


⚫️日本国憲法の定める「個人の尊重」ははたして日本に浸透しているのか
「個人の尊重」を基本原理とする日本国憲法が1947年に制定されて、今年で68年目であるが、未だ日本には「個人の尊重」という自明の考え方が浸透していないのではないか、という印象がある。

夫婦別姓の議論を眺めていると、夫婦は同性であるべき(これ自体には問題はない)という自身の考えを他人にも強要することに何の疑問を抱いていない人が、結構多いように思える。
これはつまり、「個人の尊重」の考え方が浸透していない表れではないか。この傾向は夫婦別姓の話に限らないと思われる。
要は、日本国憲法が定める国のあるべき姿を国民が未だにあまり理解していないのでは、という疑念だ。


(余談)選択的夫婦別姓の議論で最初に確認すべきこと
選択的夫婦別姓の反対派の前提が、個人の尊重・男女平等の原則ではなく、「他人(個人)よりも自身の考える正しさを優先」する=個人より国家を優先する考え方(国家が国民を統制する的な考え方)とするならば、
日本国憲法を基本とし、個人の尊重・男女平等の原則をあるべき姿とする人たちとは、絶対に話は噛み合わない。
前提が違い過ぎるから議論するだけ無駄だと思う。議論の際は、まずこの確認が必須だろう。
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2014-04-07-06-20-06

スマホアプリのLINE Qは、普段はまず関わることがない10代の小中高生への質問を行えるツールとして重宝している。
体感的には、回答者の7割は小中高生の印象である。
そこで、たまたま政治や社会問題カテゴリの質問や回答を眺めていると、質問・回答者の間での「平和」に関する意見のズレが気になった。

という訳で気になった私は、1,000ポイントとMAX付与で、
「平和」とは何か(「平和」の定義をどう考えているか)と質問してみたところ、なんと200件の回答が集まった。固い質問にも関わらず、ほとんどの方が真面目に回答してくれた。


で、内容をまとめてみたところ、大体下記7パターンとなった。
なお、下記7パターンは回答文を踏まえた私自身の言葉による解釈である。
また、回答は選択肢ではなく自由回答であって、数値は全て手作業で集計した。

⚫︎回答結果まとめ(ユニーク181件の分類分け)
1.皆が健康で文化的な最低限度の生活を営んでいること【103件・57.0%】
(皆が笑顔で幸せな当たり前の日常を営んでいること)
2.上記1かつ皆が道徳的であること【23件・12.7%】

3.争いがないこと or 争いと争いの間【24件・13.3%】

4.平和は個人個人が決めることであって、共通のものではない【7件・3.7%】
5.平和は幻想であって存在しない【13件・7.2%】
6.人間がいなくなること【6件・3.3%】

7.よく分からない or 質問への回答ではない【5件・2.8%】


⚫︎所感
LINE Qで「平和」とは何かと質問したところ、特に「1」と「2」が多く、
「幸せ」「笑顔」「日常」という言葉が目立っており、「1」と「2」と合わせて69.7%と、約7割の人たちにとって重要なキーワードであることが伺える。
また、「1」「2」の中で、「幸せ」「笑顔」「日常」だけてなく、「道徳性」を求める回答は、約1/5と18.2%を占めた。

次に多いのは「3」で13.3%
「1」の話は別枠で考えていると思われ、主に戦争との対比での考え方である。
こちらは10代ではなく社会人の回答者が多そうであった。私自身は「3」の定義を自身の考えとしている。

「4」の個人視点の人が3.7%と、一定数いるのは予想通りだったが、
「5」7.2%と「6」3.3%という身も蓋もない考えの人が、合わせて10.5%もいたのは意外だった。


⚫︎まとめ・気付かされたこと
LINE Qを使う日本人の10代は、「平和」について、主に下記2点のどちらかと考えている人が多い、という結論。
日本人が長らく戦争と縁がなかったからか、戦争との対比ではない「1」と「2」の回答が多かったという興味深い結果となった。
まぁちゃんとした調査ではないので、仮説に過ぎない訳ではあるが。

1.皆が健康で文化的な最低限度の生活を営んでいること
(皆が笑顔で幸せな当たり前の日常を営んでいること)


2.上記1かつ皆が道徳的であること

私の考えと異なることもあり、LINE Qの小中高生の人たちは、一体どういう考えなんだろうと悩んでいたのだが、LINE Qのおかげで、大きく2つに言語化してまとめることができたのは良かったと思っている。


⚫︎その他、LINE Qへの感想
小中高生へ直接質問できるツールという意味で、LINE Qにはとても大きな可能性を感じるようになった。
普通は最も意見を聞くことが難しい小中高生に簡単に質問できることで、10代の色々なサービスの利用状況の簡易的な仮説探索や、10代の考えを直接聞けるのが、素晴らしい。
ビジネスユーザーも、このツールを活用すべきではないだろうか。


(LINE Q関連記事)
スマホ向けQ&Aアプリ「LINE Q」のLINEユーザー同士のコミュニケーションサービス、だけではない真の狙いとは?

LINE Qの記事を書いたら、たまたまlivedoor blogニュースに掲載されて、過去4年分以上のアクセスが来た

2011年7月に、「キュレーション」について色々考えて書いてみたのだが、結論が出せずにずっとそのままになってしまった。
このまま寝かしておいても、答えが出そうにないので、取りあえず考えたところまでと中途半端だが、投稿してしまうことにする。


⚫ネット上に溢れる「キュレーション」って何?
「キュレーション」って言葉が未だに何なのかよく分かっていない。「NAVERまとめ」での極一部の専門家(原発や放射線など)のように、特定のテーマについて作成者の知見に基づきまとめる行為ならまだ分かるが、気になったニュースにコメント交えて投稿することが「キュレーション」とは全く思わない。

新しい言葉・概念として「キュレーション」を提唱するのなら、元の意味とは大幅に異なる「まとめ」や「リスト化」や「RT連投」といった行為はかなり違うのではないか。元の意味って、そんなにお手軽で知見無しでもいいレベルではないのではないか。

「専門知識と知見により、専門分野と社会の橋渡しを行う」を専門職だけではなく一般の人も含めるのなら、「キュレーション」って言葉・概念も意味があるのかもしれない。一般の人でも、一定の文脈の元に各人の専門分野と知見を生かして、示せることはある、といったような。

「キュレーション」という言葉・概念についてもにょもにょと考えてみると、ネット上にバズワードとして広まっているそのほとんどがただの「選別」でしかないことに気付かされる。ただの「選別」だから、選んだ以上の価値はなく、「文脈」という新たな価値はない。

ただの「選別」を「キュレーション」とか言い出すから、言葉を言い換えただけの言葉遊びになってしまう。「選別」は「選別」でいいじゃないか。どうしても横文字がいいなら、「セレクション」とかにすればいい。
新しい概念・価値・考え方がなければ、新しい言葉を使う意味がない


⚫そもそもの「キュレーション」とは何か
「キュレーター」は、Wikipediaによると、"施設の収集する資料に関する鑑定や研究を行い、学術的専門知識をもって業務の管理監督を行う専門職、管理職を指す。(※curate―展覧会を組織すること)"。展覧会の企画者として、現代美術と社会の橋渡しをする重要な役割のことで、れっきとした「専門職」である。
なので、辞書的には「専門知識と知見により、専門分野と社会の橋渡しを行う」と認識している(合っているかどうかは分からない)。


⚫「キュレーション」という概念を情報全般にまで拡張してみる
「キュレーション」というのは、元の意味を考えると、とてもお手軽RTやリンク集みたいな行為が該当するとは思えない。もし、新しい言葉・概念として提唱するのなら、「専門知識と知見により、専門分野と社会の橋渡しを行う」ようなことを意味するのではないか。

では、専門知識と知見により、専門分野と社会の橋渡しを行う「キュレーション」とは何か。って聞かれたら、原発の件での専門家(not=原発の専門)の方々の情報発信がそれに近いんじゃないかなぁと、ふと思ったりした。私の勝手なイメージではあるが。


⚫「キュレーション」と「報道」「編集」の違い
などと考えてみたが、「専門知識と知見により、専門分野と社会の橋渡しを行う」って、そもそも「報道」や「編集」と何が違うんだ? という新たな疑問が生まれてきた。専門分野と社会の橋渡しって、まさに「報道」や「編集」がやってきたことではないか、と。

ただ、元の意味の「キュレーション」は、専門知識と知見により、専門分野と社会の橋渡しを行うための展覧会を企画するにしても、「文脈(コンテキスト)」が重要なはずだから、そう考えると「報道」や「編集」とはちょい違うかな。

ジャーナリストや編集者が専門情報を翻訳すること」と、
専門家自身が専門分野と社会の橋渡しを行うこと」の違いだろうか。


⚫で、結局「キュレーション」って何?
私は、「キュレーション」とは誰でもできる行為ではないと考えている。何かの分野の専門家、つまりプロフェッショナルでなければ。元の意味での「現代美術」だけではなく、様々な分野においてその専門性を生かし、ネットの時代だからこその新たな価値の創造ができるのではないか。と期待している。

「キュレーション」は、元々現代美術などで使われている言葉で、「キュレーター」という専門性の高い職業もある。この職業は、編集者でもプロデューサーでもディレクターでもない。にも関わらず、「選別」程度の意味でバズワードとして「キュレーション」という言葉を使うのは、失礼と思わないのかだろうか。

現代美術における「キュレーション」のあり方を情報全般にまで拡張できないか、と考えている。が、私自身含め誰も詳しくないので、あまりイメージがついていない。だから、この概念を広めるのであれば、「キュレーション」に造詣の深いプロフェッショナルな方の協力を仰いだ方がいいと思う(既に手遅れな気もするが)。


「専門知識と知見により、専門分野と社会の橋渡しを行う」というのを情報全般にまで拡張するというのは、だいぶ近付いてきている気はするが、まだしっくり来ない。以前とは異なり、「専門家」(科学者や法律家など)が容易に自ら発信できるようになったからこその考え方・概念となり得るのではないか、と漠然と考えてはいるが。

というところまでで結論は出ず。





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「ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか」を読んだので、読書メモを書いた。
元DeNAの中山淳雄氏が2012年半ばから後半にかけて書かれた
「ゲームの本質」を体系化した本で、何年経っても色褪せない素晴らしい本。




●ソーシャルゲームの成功方程式
=「ソーシャル(人を集める力)→無料&招待インセンティブ」
×「ゲーム(人を熱狂させる力)→コミュニティ」
×「アイテムマネタイズ(熱狂をお金に変える力)→課金プレミアムシート」。


●ソーシャルゲームのユーザータイプ分類
ライトユーザー(月課金1000円以下)
ゲーム経験とソシャゲ経験が共に浅く、ゲーム機未保有。10-60代までと属性が幅広く、偏りは少ない。

ミドルユーザー(月課金5000円未満)
子ども時代にゲーム機でのゲーム経験が豊富で、ソシャゲ経験1年以上が多い。男女比率の偏りは少なく、大学生や若手ビジネスユーザーが多め。

ヘビーユーザー(月課金5000円以上)
30-40代中心。熱中しやすいギャンブル型と、コミュニティ作りに慣れているネットヘビー型と、極少数のランキング上位に君臨する超ヘビーなハイステータス型。


●ソーシャルゲーム市場の規模感(2012年前半時点)
月間アクティブ約2000万人(年間4000億円)。
内、課金ユーザーは20%の400万人(月平均6000円)。
課金ユーザーの内、ヘビーは40万人(月4万円で年50万円)、残りが360万人(月4000円で年5万円)。

ソーシャルゲームのヘビーユーザー(月平均4万円で年間50万円)というのは、パチンコユーザー(月3-5万円で年間30-60万円)に匹敵する。が、ユーザー層がそこまで一致している訳でもない。


●「遊び」の四分類
A.感覚的倒錯(操作性)→遊園地・操作系ゲーム。
B.オンリーワン(装飾性)→演劇・アバターや街作り系。
C.ナンバーワン(競争・協力性)→スポーツ・バトル系。
D.運命的倒錯(偶然性)→賭博系全般。

コンソールゲームは、A.感覚的倒錯(操作性)とC.ナンバーワン(競争・協力性)を刺激する遊び。
ソーシャルゲームは、B.オンリーワン(資産収集・自己顕示)とC.ナンバーワン(ソーシャル性)+D.運命的倒錯(偶然性)を刺激する遊び。

ソーシャルゲームにおける「カードゲーム」のブレークスルーとは、集客性の面でのB.オンリーワン(資産収集・自己顕示)の構造強化と、やり込み幅が大きいC.ナンバーワン(ソーシャル性)の構造強化の両方を同時に追求できたこと。

ソーシャルゲームにおいては、B.オンリーワン(装飾性)、C.ナンバーワンが、「人を熱狂させる力」となり、D.運命的倒錯(偶然性)が、「熱狂をお金に変える力」となる。


●インフライノベーションの4要素
「通信端末の普及(フィーチャーフォン)」
+「サービスプラットフォーム(公式ポータル・一括決済システム・定額課金制)」
→携帯キャリアが製造から販売まで支配力を持っていた日本ならでは。
+「コンテンツ(ゲーム)」
→2008年時点で、5000億円近いモバイルコンテンツ市場の約20%弱が、既にモバイルゲームだった。
(ちなみに、着うた・着メロで約30%、アバター・アイテム販売は僅か3%だった)
+「携帯課金の習慣・文化」
→2008年時点で、モバイルコンテンツ市場4835億円+モバイルEコマース市場8689億円
=全体で1.3兆円であり、1億人のケータイユーザーが月平均1000円を支払っていた訳で、
既に携帯で課金する習慣が確立されていた。
(2012年時点のソーシャルゲームユーザーは月平均2000円)


●マーケティングイノベーション
1.スキマ時間の創造
2.データ分析に基づくリアルタイムマーケティング
3.イベントマーケティング

アイデアから消費者までの「距離」が近くなった
これらのマーケティングの基準は、従来の「顧客の声」ではなく、「顧客の行動」である。
(ID-POSデータなども当てはまるかな?)
→パラメータをチューニングしながら最適値に到達する生産技術は、他社には真似しにくい非常に強力な差別化点となる。

※ 従来のマーケティングが、「情報を集める」「セグメント化したユーザーを集める」「マッチング」の三セットという「静的」な軸をベースにしているのに対し、リアルタイムマーケティングでは、ユーザーの行動という逐一変化する「動的」な軸をベースにしている。


●ソーシャルイノベーション
→ソーシャルゲームがやったことは、「昔から常に遊びには必要だった『ソーシャル』をデジタルな空間に再現するノウハウ」というイノベーションなのである。

→フリーミアムモデルの本質は、「ユーザーがコンテンツを作る」と「ユーザー自身がコンテンツになる」(娯楽には観客が必要)という二点に帰結する。

→ソーシャルゲームの熱狂を生む原動力である「成長感」「ご褒美」「人間関係」は、リアルな世界でも当てはまる。

→ソーシャル自体を商品とする仕組み。
1.関係性を遊びとする。
2.ユーザーがコンテンツになる。
3.ユーザーが成長する。

大事なことは結果ではなく、その成長プロセスの分解にこそ、眠っている。


●第五次産業を創造しよう
第一次産業=「食料」が価値を持つ
第二次産業=「モノ」が価値を持つ
第三次産業=「人(サービス)」が価値を持つ
第四次産業=「情報」が価値を持つ
第五次産業=「関係性(コミュニティ)」が価値を持つ
→第五次産業では、「コミュニティの中での自分の位置を高めてくれるデジタルコンテンツ」で収益を上げる。
(自分のアイデンティティを象徴する衣服、即ちアパレル産業とは非常に親和性が高い)
→「コミュニティ」による付加価値を商品にすることであり、「人を介さない自己増殖性」が本質である。
→この領域の鍵は、「優れた戦略」ではなく「優れた業務プロセス」であり、「開発技術(何を作るか)」ではなく、「生産技術(どう効率的に作るか)」である。

人間の娯楽は人間である。


●価値を生み出す錬金術
価値を生むには、「有用性」と「希少性」があればよく、ソーシャルゲームの真髄とは、「希少性のコントロール」にある。
価値の希少性が価値相場を創出する。全ての活動は、運営側とユーザー側、もしくはユーザー同士での「価値の交換」である。
ユーザー全体の価値総量は増え続け、徐々に進む価値のインフレは止められない。そして、価値総量が多くなり過ぎて、ユーザー側から価値を価値と認めなくなってきた時に、ソーシャルゲームは終焉を迎える。
なお、収益を求め過ぎて、「希少性のコントロール」をユーザーが感じさせてしまうと、あっという間にユーザーは離れていく。


●最後に
ソーシャルゲームは、あくまでも
「ユーザーに楽しんでもらう」ことが、サービスの中心であることを忘れてはならない。

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